【アドラー心理学の名著】嫌われる勇気、幸せになる勇気のまとめ・要約。

【アドラー心理学の名著】嫌われる勇気、幸せになる勇気のまとめ・要約。
この記事の対象者
  • アドラー心理学について知りたい
  • アドラー心理学を分かり易く解説してほしい
  • アドラー心理学に基づいた子供の教育方法を学びたい

岸見一郎さんの「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」でアドラー心理学に興味を持った、という人は多いのではないでしょうか?論理的なだけでなく、実際の生活に根付いた考え方をしているので共感できることの多い自己啓発本だと思います。心理学という名前になっていますが、哲学に近くどのように生きれば幸せになるか、という疑問に答えてくれています。

この記事を読むことで幸せになるための生き方が分かります。

【アドラー心理学の名著】嫌われる勇気、幸せになる勇気のまとめ・要約。

アドラー心理学には様々なテーマがあるのですが、重要なテーマは下記の項目に集約されます。また、アドラーは教育に熱心だったこともあり、子育ての方法についてもいくつか参考になる主張をしています。ただ、アドラーの重要なテーマについて理解できていないと理解できないため、重要なテーマを説明した後に紹介したいと思います。

アドラー心理学の重要なテーマ
  • 全ての悩みは対人関係に集約される
  • 原因論ではなく目的論
  • 課題の分離
  • 共同体感覚が最終的な’ゴール

全ての悩みは対人関係に集約される

アドラーは全ての悩みは対人関係に集約される、と主張しています。いやいや、お金の悩みや仕事の悩みとか対人関係とは関係ないのでは?と思う人もいると思います。しかし、もし自分一人しかいない世界だとお金や仕事なんて意味無い、という理論で「全ての悩みは広い意味で対人関係に集約される」ということになります。

確かにそう言われると、低い年収や思うような仕事ができない、という悩みも他人がいることで成立しますよね。しかし、自分が生まれてくるということは、産んでくれた母親がいるということなので、世界に自分だけしかいない、という仮定は絶対に成り立ちません。そのため、生まれてきたときに必ず苦悩が始まることになります。また、対人関係が悩みの始まりになるのなら、自分以外は全員いなくなった方が良い、という理論にもなってしまいます。

アドラーはこうした疑問に対して明確に否定しています。なぜなら、全ての悩みが対人関係から生じるように、全ての喜びもまた対人関係から生じるからです。つまり、対人関係の悩みを解決できれば人生から喜びを感じて幸せになれる、ということです。確かに、人生の悩みや喜びというのは他人がいないと成立しないことが多いように思います。この考え方からアドラーは対人関係を重視しながら論理を展開しています。

ただ、私は人と人との関わりだけでなく、人と動物との関わりから悩みや喜びが生まれることもある、ということを疑問に思いました。可愛い猫と触れ合って幸せそうにしている人もいますよね。そのため、全ての悩みや喜びが対人関係に集約される、というのは言い過ぎだと思いました。とは言っても、この辺の議論は後の理論とは関係がないので無視してもらっても問題ないです。

原因論ではなく目的論

アドラーは人の行動は原因論ではなく、目的論に基づいていると述べています。原因論、目的論と聞くと難しそうですが、そんなことはありません。原因論と目的論を簡潔にまとめると下記のようになります。

原因論と目的論

  • 原因論:過去の出来事が原因で今の行動をした
  • 目的論:未来の目的のために今の行動をした

例えば、「いじめをうけたから、引きこもる」というのが原因論。「家族に心配してほしいから、引きこもる」というのが目的論です。

過去に目が向いているか、未来に目が向いているか、という違いですね。一般的には原因論で考えている人が多いのではないでしょうか?自分が不幸になったときには過去に原因があるから、と思ってしまいましすよね。しかし、アドラーは「自分が不幸なのは不幸になりたいと望んでいるから」と述べています。

アドラーはたとえ親から暴力を受けて育ったせいでで幸せになっていないとしても、それは本人が不幸になることを望んだからと述べています。それは言い過ぎじゃないの?と思うかもしれませんが、目的論で考えるとそうなります。例えば、不幸になることを目的に行動した方がメリットがあると潜在的意識の中で考えているため、このようなことが起こります。確かに家庭環境が悪くても幸せになっている人もいるので、原因と結果が必ずしも一致していないですよね。そこには原因論では説明できない理論がありそうです。

目的論と交流分析

目的論の考え方はアドラー特有のものではありません。エリック・バーンの提唱した交流分析でも同じようなことが言われているので、簡単に紹介します。エリック・バーンは人は「脚本」と呼ばれる人生計画を成立させるために行動している、と述べています。

例えば、同じ失敗を何度も繰り返している人は「自分は絶対に成功しない」と言う脚本を成立させようとしています。この脚本に従って行動することで他人からも同情がもらえたり、失敗の原因を考えなくても良いので自分にメリットがあります。詳しくは下記の記事を参考にしてください。

こう考えると人が目的論にしたがって行動している、と言う主張も説得力があります。さらに、目的論を提唱しているアドラーは「過去は存在しない」ということも言っています。どう言うことかと言うと、過去は「いま」の自分によって解釈が異なるため、本当の意味での過去がない、と言うことです。

例えば、学生時代に先生から厳しく教育されたとします。将来、充実した人生を送っている人は「学生時代に厳しく教育してくれてありがとうございます。」と先生に感謝します。しかし、将来思うような人生を遅れていない人は「あの先生の教育は全然ダメだった」と不満を漏らします。

このように、「いま」の自分の状態によって過去が書き換えられます。不幸な自分を肯定するために過去に理由を求めている、と考えても良いでしょう。そして、不幸の理由を過去に求めている人の悩みは下記の2つに集約されます。

「いま」に不満を持っている人の悩み

  • 可哀想な私
  • 悪いあの人

カウンセリングを行なっていても色々な悩みがありますが、結局はこの2つの悩みに行き着くそうです。

しかし、悩みを持っている人が語るべきなのは「これからどうするか」です。かわいそうな私、悪いあの人という話をいくらしても「これからどうするか」を考えなければ建設的な解決策は生まれないですよね。未来を明るくするためにも目的論の考え方が適していると言えます。

目的論を使う覚悟

悩みを解決するためには目的論で考えなければならない、と言うことを紹介してきました。しかし、そのためには過去の自分を捨てなければならず、自分を殺すぐらいの覚悟が必要と述べられています。過去の自分を否定し、新たに生まれ変わるぐらいの気持ちでいないと本当の意味での「これからどうするか」を考えられません。

目的論的に考えるのは本当に辛いことです。しかし、原因論で考えてしまうと「いま」の自分は自分を改善していけません。過去は変えられないので自分の未来も変えられません。その点、目的論的に考えると確かなのは「いま」の自分だけなので未来を変えていけます。全ての原因が自分にあると言う目的論は一見厳しいことを言っているようにも思えますが、未来に希望を示してくれています。

課題の分離

目的論で考える時に気をつけなければならないこととして、他人から認められたい、褒められたいなどの動機で行動してはいけない、ということがあります。なぜなら、こうした動機で行動すると他人の欲求を満たすために行動するようになってしまうからです。

他人の欲求を満たすために行動する聞くと良い事のように思えます。他人の役に立って悪いはずがないですよね?確かに、他人の役に立つ事が悪いことではありません。ここで重要なのは動機です。他人から認められたい、褒められたいなどの動機で行動するということは、認められたり褒められたりしないと行動できない人間になってしまう可能性を秘めています。

例えば、他人から認められたい、褒められたいなどの動機で行動する人は道にゴミが落ちている時にまず周りを見ます。誰かが見ているとゴミを拾ってゴミ箱に入れるのですが、誰も見ていないとゴミを拾わない、という行動をしてしまいます。また、ゴミを拾ったのに誰にも称賛されないとゴミを拾う事が無くなります。これでは自立した人間とは言えないですよね。

では、どうすれば正しい動機で行動できるのか?という疑問が出てくると思います。そこで、重要なのが「課題の分離」です。

課題の分離ではそれが誰の課題かを考えます。もう少し分かりやすく言うと、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?を考えます。上記の例ではゴミを拾うかどうかは自分の課題、ゴミを拾った自分を褒めるかどうかは他人の課題、と言うことになります。この課題の分離ができていれば、認められたい、褒められたいと言う動機で行動しないので、称賛されなかったからと言ってゴミを拾わなくなる、と言う事が無くなります。

課題の分離が人間関係を改善する

これは人間関係を円滑にするために重要なポイントです。課題の分離ができていれば下記のような人間関係でモヤモヤする事が無くなります。

「課題の分離」で改善される人間関係

  • 誰かのために行動する
  • 悪い結果を上司に報告する
  • 他人に頼みごとをする
  • 他人の仕事が遅くてイライラする

誰かのために行動する、と言うのはすでに紹介したので他の例について解説して生きます。

悪い結果を上司に報告する

仕事で悪い結果が出て上司に報告しにくいな、と言う事があると思います。そんな時にモヤモヤしても何も変わりません。自分の課題は結果を報告する事なので悪い結果を報告しましょう。そこで上司が怒るかどうかは上司の問題です。そして、怒られた時にやる気を無くしてしまうのか、もう一度頑張るのかは自分の課題です。相手が相手の課題に対してどうするかを考えても意味がないので自分の課題に注力しましょう。

他人に頼みごとをする

仲が悪かったり、何となくこの人に頼みごとをしにくいな、と言う時があると思います。これも上記と同様に、頼みごとをして相手がどう反応するかは相手の課題です。無下に断って自分の印象を悪くしてしまうか、快く引き受けて良い印象を与えるかは自分には関係ないですよね。一方、断られた時にどうするかは自分の課題です。

他人の仕事が遅くてイライラする

他の人に仕事を頼んだけど全く返事がない、と言う事があると思います。相手ががどう動くかは、その人の課題です。自分が気にする必要はありません。自分にできることは、その人にどう動いて欲しいか説得するところまでです。

課題の分離を行うためのコツ

課題の分離のポイントは、自分にコントロールできる部分と、自分にコントロールできない部分を分けて、自分がコントロールできる部分に心を集中することです。自分の内に生じた感情に対して、思考や行動をいかにコントロールするかで課題の分離が可能になります。

共同体感覚が最終的なゴール

アドラーは、「課題の分離」を対人関係のスタートとし、ゴールは「共同体感覚」としています。共同体感覚とは、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを言います。この共同体感覚があることでアドラーの掲げる行動面と心理面の目標が達成できます。

行動面での目標

  • 自立すること
  • 社会と調和して暮らすこと
心理面での目標

  • 自分には能力がある、と言う意識
  • 人々が自分の仲間である、と言う意識

これらは共同体感覚を持つことで達成できます。上記では課題の分離について紹介しました。自分のコントロールできることに集中すると言う課題の分離は「利己的に生きること」とも言い換えれるので、課題の分離だけでは社会が崩壊してしまいます。それに、共同体感覚の「他者を仲間と見なす」と言うのも課題の分離と矛盾することのように思えます。

仕事における共同体感覚

共同体感覚はとても分かりにくい概念なので、仕事を例に出して紹介して行きたいと思います。

私たちは一人で生きているのではなく、日々の仕事を誰かと分業して生きていますよね。食事をするにしても野菜を作る人、輸送する人、販売する人などそれぞれが分業されています。この分業というのは、誰かがやらなければならないことをお互いに信頼して協力するために成り立つ行為です。しかし、それぞれの人は利己的に自分の課題に専念しているだけです。つまり、利己的な振る舞いを追求した結果、他者貢献することになっています。

このように、叱られたり褒められるからという動機ではなく、自分の利己的な欲求を追求した結果、共同体の中で他者貢献できていると感じることになり、自分は価値があると思うことができます。これが共同体感覚です。アドラーの提唱している行動面と心理面の目標を達成できていますね。

陥りやすい罠

自分の利己的な欲求を満たすことで世の中に貢献すると共同体感覚が得られる、ということを紹介してきました。しかし、多くの人は仕事に優劣を付けてしまいます。例えば、飲食店の人よりも大学の教授の方が偉い、などです。なぜなら、学校では協力関係ではなく競争関係が作られてしまっているからです。勉強や部活動で他人と競争する風潮に晒されることで、他人と縦の関係を意識せずにはいられなくなってしまっているからです。しかし、こうした縦の関係を意識した仕事の選び方をしていると、上には上があるためキリがないです。

では、どうしたらいいのでしょうか?アドラーは凡庸な自分を受け入れることが重要と説いています。何か特別な能力があるから価値があるというのではなく、「ただそこに存在しているだけ」で価値があることを理解しましょう。自分という人間は自分しかいないので、唯一無二の価値があるはずです。

また、アドラーは仕事に優劣はない、と主張しています。誰かがやらなければならないことだから仕事として残っているのであって、誰の役にも立たないのであればその仕事はなくなるはずだ、としています。

そのため、仕事の価値は「どんな仕事に従事するか」ではなく、「どんな態度で取り組むか」によって決まる、と述べています。どんな態度で取り組むか、とは能力だけでなく、「この人と一緒に働きたいと思えるか?」なども含まれます。人間関係が悪いと分業して助け合うということが出来ないので、共同体感覚が得られなくなり、仕事の価値も低下します。(あくまでも共同体感覚のために仕事があると考えています。)

課題の分離と共同体感覚

仕事における共同体感覚について紹介しましたが、課題の分離と紛らわしいところについてもう少し詳しく紹介しておきます。

例えば、共同体感覚を得るためには「他社の関心ごとに関心を寄せる」ことが必要とされているということです。社会と自分との関わりを強めるためには他者に共感しなければなりません。共感する力を強めるために、アドラーは「他人の目で見て、他人の耳で聞き、他人の心で感じること」が必要だと説いています。一方で「課題の分離」では他人からの承認を動機づけにしないことを紹介しました。この2つは矛盾しているのでしょうか?

私の理解では共同体感覚とは他人の関心ごとを自分の関心ごとに落とし込んだ上で、自分のやりたいことで社会に貢献することを言っているのだと思っています。一度他人に共感することで自分の課題になっているので「課題の分離」とは矛盾しなくなっている、という理論です。ここで考えられるのが、下記のような共同体感覚の成熟過程です。

  1. 自分のやりたいことを追求する
  2. 社会に役立つことを実感する
  3. 社会の役に立つことが自分のやりたいことになる
  4. 世の中の悩みに共感して仕事を行う

最初は自分の利己的な興味関心から出発するのですが、次第に世の中の問題が自分の問題のように感じるようになるほど共同体感覚が強まります。そうすると、世の中の役に立つことが利己的な目標と同一になるため、世の中の課題が自分の課題になるという成熟過程です。

アドラーが共同体感覚という考え方を提唱した時に、周りの人たちがアドラーから去って行ったという経緯があるように、共同体感覚というのは難解です。しかし、この考え方だと理解しやすいのではないかと思います。

アドラー心理学に基づいた教育

アドラーは課題の分離や共同体感覚に最初に触れるのは学校だ、と言っています。さらに、アドラー自身も学校に初めて自動相談所を作るなど、教育に力を入れています。その中で、子供の教育方法について「叱ってもいけない、褒めてもいけない」と述べています。

アドラーは教育をするときに、教師と生徒といった縦の関係ではなく、友人という横の関係が理想的と述べています。多くの場合は縦の関係になってしまい叱ったり、褒めたりしてしまいます。しかし、こうした教育をしていると子供は叱られたり褒められたりしないと行動できない子供になってしまいます。これでは子供が自立しません。

叱るという行為が縦の関係なのは分かりやすいですが、褒めるという行為も縦の関係になるの?という人もいると思うので解説します。褒めるという行為は、能力のある人が能力のない人に対して評価する事、と言えます。そのため、能力のある人と能力のない人で縦の関係になっています。褒められた人はもっと褒められたいと他人に褒められることを目的に行動するようになり、課題の分離ができなくなります。

一方、横の関係なら叱ることも褒めることもありません。そのため、子供の自発的な行動が促され自立しやすくなります。しかし、叱ることも褒めることもしないと子供たちが好き勝手なことをしてしまう、と心配になると思います。

子供の問題行動

子供が好き勝手なことをする場合、まずは教えることが重要です。子供たちは自分の行動によって何が起こるのか知らない可能性があります。その状態で叱ったとしても子供たちは何故怒られたのかがわかりません。そのため、まずは子供たちの行動によって何が起こるのか教えましょう。

とは言え、子供たちは何が起こるのかわかった上で問題行動をしている場合もあります。その場合は、なぜ問題行動を起こすのか?その目的を考える必要があります。アドラーは問題行動を起こす目的として下記の5つの段階があるとしています。

  1. 称賛の欲求
  2. 注意喚起
  3. 権力争い
  4. 復習
  5. 無能の証明

称賛の欲求

褒めてもらうために行動することを言います。一見、良いことのようにも思えますが、良い行動であっても誰かに褒めてもらえないのであれば行動しないので問題があります。

注意喚起

人に褒められないのであればとにかく目立ってやろう、という心理で行動することを言います。授業を妨害したり、勉強せずに教師を困らしたり、泣いたりすることで注意を自分に向けようとします。たとえ叱られる事であっても無視されるよりはマシと判断するのでこうした行動を起こします。

この第2段階までは相手の存在を認めて、尊敬するだけで問題行動が改善します。シンプルな解決策で良いので問題が大きくなりません。

権力争い

相手を挑発したり、戦いに勝利する事で自分の力を誇示しようとする行動のことを言います。汚い言葉を使ったり、癇癪を起こしたり、万引きをするなどルールを破ります。

3段階まで来ると対処するのが難しくなります。ただし、この場合は「無視する」というのが有効な対策になります。争いたい相手に叱ったりすると相手の土俵に上がることになるので、相手が喜んでしまいます。権力争いをしても意味がないということを教えるためにも無視しましょう。

復讐

自分を愛してくれなかった人に対して復讐することを言います。これまでは「愛」の欲求でしたが、4段階からは「憎しみ」が入ってきます。そのため、正面から対立するのではなく、ひたすら相手が嫌がることをします。例えば、自傷行為や引きこもりなどが当てはまります。相手にも憎しみの感情を抱かせ、憎しみという一点で相手と繋がろうとします。

この段階になると第三者に助けを求める必要が出てきます。第3段階の時点で何とか対処したいですね。

無能の証明

人生に絶望し、何の課題にも挑戦しない状態のことを言います。何かに挑戦して様々な工夫をしてきたものの、全てうまくいかず自分の居場所がわからないと、あらゆる手段で自分の無能さを証明し始めます。できるかもしれないと思うよりも、最初からできないと思っていた方が自分に期待しなくて済むので楽ですよね。

この段階になると愚者を演じているうちに精神的疾患を患う可能性も出てきます。誰かが手を差しのべようとするほど自分にブレーキをかけるので、問題が深刻化することもあります。

問題行動を発展させないためには?

問題行動を発展させないためには「叱ってもいけない、褒めてもいけない」が重要になります。上記の5段階の問題行動を見ても分かるように、叱ったり褒めたりすると問題行動の段階が発展してくだけの可能性があります。いくら叱っても子供の行動が改善されない、という経験がある人もいるのではないでしょうか?このことからも叱ること、褒めることが有効ではないことが分かります。

では、叱っても褒めてもいけないのであればどうすれば良いのか?と言う疑問が湧いてくると思います。答えは下記の2つです。

教育に必要なこと
  • 感謝
  • 勇気付け

感謝や勇気付け、と言うのは横の関係ですよね。縦の関係にある立場にいたとしても、感謝と勇気付けと言う行動自体は横の関係の行為ですよね。友人だろうが上司だろうが必要な時に行うので横の関係です。

感謝や勇気づけをされた相手は自分の行動に使命感を持つようになります。誰かのために〜がしたい、と言う自分の内側から生じた動機によって行動するので、ストレスがなく挑戦できます。承認されたい、褒められたいと言う動機は自分の外から生じた動機なのでストレスも貯まりやすくなります。この辺りは自己決定理論などの心理学的の知見と一致しています。詳しくは下記の記事を参考にしてください。

感謝とは「〜してくれてありがとう」というような振る舞いなので分かりやすいのですが、勇気付けというのは少し分かりにくいので下記で紹介します。

勇気付けとは?

勇気付けとは「あなたなら出来る」、「あなたには能力がある」と伝えることをいます。子供が何かに挑戦する時にこうした勇気づけが必要なのですが、一番重要なのは「理性を使うことへの勇気付け」です。

人は自分の考えで行動することを拒みます。なぜなら、もし自分の考えたように行動してダメだった時には自分が否定されたように感じるからです。学校や習い事でも自分の意見を言える子と言えない子がいますよね。それは、他人から指示されたように行動した方が自分が傷つかないことを知っているからです。しかし、それでは共同体感覚が得られず、ストレスがたまり問題行動のリスクが高まります。

ここでカントの名言を紹介します。

人間が未成年の状態にあるのは、理性が欠けているのではない。他社の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。つまり、人間は自らの責任において未成年の状態にとどまっていることになる。

この言葉からも人に理性が欠けているのではなく、理性を使う勇気がないだけ、ということが分かります。未成年の状態を脱するためにも、教育者は自分の人生は自分で決定すること、そして決定に必要な材料(知識や経験)を提供していくことが問題行動を起こさせないために必要ということが分かります。つまりは、「これからどうするのか」について考えさることが理性を使う勇気付けになる、ということです。

愛の勇気付け

「愛」は勇気づけが必要なテーマの一つです。ドラーは「他者を愛することによって自己中心性から解放され、自立し、共同体感覚にたどり着く」と言っています。この「愛」の勇気付けも重要なテーマなので紹介しておきます。

愛について考えるときに「運命」や「本能」と言った言葉に頼ってしまうことが多いと思います。会った瞬間に「結婚するな」と感じたとか、運命の人に出会えたとかです。しかし、アドラーは愛に「運命」や「本能」は不要で一から意識的に作り上げることができると言っています。また、「もし「運命」や「本能」という言葉を使ってしまうと愛は物欲と変わらないものになってしまう」ということも言っています。

物欲の例として最初はカバンや財布をすごく欲しがるのに半年もしたら飽きてしまっている、ということがあると思います。これは付き合っても長続きしないようなカップルと似ていますよね。愛ではなく物欲に取り憑かれているのでこのようなことが起こります。

愛って何?

では、愛とは何なのでしょうか?愛とは信念の行為であり、他人と一緒に作り上げるものです。見返りを求めず、無条件で他人に貢献することから得られる貢献感が幸福に繋がるという話を共同体感覚のところで紹介したと思います。利他的な行動と利己的な行動が一緒になり、利他的な行動が自分の幸せになる、という話です。愛にもこの共同体感覚が必要で、愛とは互いに利他的に行動することにより「私たちの幸せを作る行為」とも言えます。

自分から愛する

愛の正体がわかったところで、互いに見返りを求めずに利他的に行動するなんてできるの?と思うかもしれません。なぜなら、自分が相手のために行動しても自分には何もメリットがないかも知れない、という不安が付きまとうからです。

これはすでに紹介したような「課題の分離」の問題ですよね。自分が利他的な行動をするというのが自分の課題で、相手が利他的な行動をするかどうかは相手の課題です。

また、愛することができない、という人は原因論に陥っている可能性があります。他人が愛をくれないから愛を与えられないというのが原因論です。そうではく、目的論で考え自分が愛をもらいたくないから愛を与えない、と考えられます。

まずは、自分から愛する勇気を持たせましょう、これが愛の勇気付けです。このような考え方は愛だけでなく、尊敬や信頼にも応用できます。自分が尊敬されたい、信頼されたいと思うならまずは自分から尊敬や信頼を与えるようにしましょう。

まとめ

今回は岸見一郎さんの「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」を参考にアドラー心理学を紹介しました。

個人的には最初は見返りを求めず行動してもいいと思いますが、相手が全く感謝してくれなかったり恩を返してくれないと精神的に辛くなるので、そういう人とは関わらないようにした方が良いと思います。精神が安定していないと共同体感覚を維持するのが難しくなります。

アドラー心理学は難解な考え方ですが本の中では哲人と青年の会話形式で伝えてくれるのでわかりやすかったとです。おそらく、普段の生活の中でも同じようなことを考えたことがある人も居たのではないかと思います。私も自分で考えていたことがうまくまとまって書かれていたので参考になりました。興味のある人はぜひ買ってみてください。

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